空は誰が決めたの?
私はこの写真を見て「綺麗な空だな」って感じます。けど他の人は空じゃないって感じる人もいると思います。
「じゃあこれは何?」って話になると、空なのか青なのか白なのか、はたまた別の何かなのか。と話になります。
色んな答えが出るけど私は、今までこれは「空」って教えてもらってきた。だからこれからも「空」だと思う。
でも空を「空」ってきめたのは人間。だけど、これは「空じゃない」って言ったら
「じゃあこれは何になる?」ってなる。
すぐ決めたがる。
人間は臆病な生き物で、何か不確定要素があると疑問と呈して、不安をぶつけてくる。
そう。わからないのだ。強いて答えるならば「そんなのは知らない。」となる。無責任であろう。仕方がない。答えを作ったのはあなたであり、答えにしたのは人間だ。
でもわからないものをわからないということは大事だ。
私は質問のいち提示者であり、質問の回答を求めている迷える子羊でもあるのだ。それでも知りたければ、他の誰かか、機械にでも聞くといい。きっとこのストレスは解消されないよ。
私は。今は自分の事を人間だと思ってるし、今は、空を空って認識でいるし、それで良いと思っている。
だって教えてくれてきた人も皆、人間だもの。
それにいつかは空じゃなくなってしまうかもしれないし、先の未来には空のない世界かもしれないし、もしかしたら既にここは、空のない世界かもしれないし。
いつ変わるか先が読めないから空と思う。けど今日だけ、今日だけは「上」って言いたい気分だから縛られないで、ストレスフリーに「上」って言う。
汚れでつくられる世界
上を見上げればこんなにも正直でわかりやすく、いつも「そこ」にいて、凛と生活してる君が好きなんだけど、今そんな君を見てる僕たち人間の足元は、巨悪で、複雑で、君と住む世界が違うよ。

ゴミを捨てた後の影響範囲を知らないんだね。
手に持って、気づかないで口に入れてしまう人だっているんだよ。

今私達、何かが歩くここは私達であろう何かがもの(ゴミ)を置き去りにしていってる。(もしかしたらゴミという概念は私だけにしかなくてこれは貴重な資源かもしれないけど、)
私はあのどこまでも続くような上が好きで、雲なんてのも好き。空や雲が好きな人は他にもたくさんいると思う。
けどみんな都合の良いように写真に利用して、良い顔を並べて偽善者になるばかり。
何ぞやの満たされない自己欲求のために、その場で快楽的欲求を発散させ、写真を撮る。
綺麗な景色がこうやって写真として自己世界に残っていく。そんな無責任な事だらけで、その結果がいまを招いてる。
でも無責任な人だけで構成されてないのが世界であって。全員、善人なんてない。
だからもどかしい。そうやって構成された世界。
良くない人は淘汰されるっていうけど、そんなのは綺麗事だよ。あの手この手で残ってるものだよ。
常に人と比べて生きてる。側から見れば、ちょっとの善い人はすごい善い人より悪い人なのだ。だから今の世界が保たれるってわけですね。でも、その無責任のおかげで一丸となって奉仕活動に取り組んでいる方もいる。

「見えている景色が、その人が持つ唯一無二の世界」です。でも「見えているのに見ていない」のも事実です。
今皆さんが何をしてるかわかりません。
でもこの記事を読んでくださる方は(ありがとうございます。)何らかの機会を通して、ネットを使っていると思います。
二つの世界
私も外を散歩して、休憩をして、文字起こしにネットに使われてます。私も携帯を眺める間は見えてない世界があります。外の世界です。

外の世界は私達が何気なく過ごしている日常です。様々な出来事が傍観できたり主体となって起こったり。
意識が散漫としていれば、毎日、目にする物や景色を意識しなかったり気づかない物があったりしますよね。「それがその人の世界」とも言えますが、それに加えてもう一つの世界が入ってきたわけです。
インターネット、ネットワークです。
目の中に広がる別世界だと僕は感じてます。
人間の一部になりつつあるネットワーク。彼らと繋がっているからこそ、新しいもう一つの人生を歩む時間が長くなったよね。って話で、「見えてるけど見なくなった」が今思ってることに変わりはありません。
インターネットってもう一つの自己の鏡の世界であって、内にも影響を及ぼす別の世界なのです。
だから目に入る外の自分の世界と内に広がる別の世界は常に混在しているのです。
だから見えてるようで見えていないものが増えたよね。(でもまあ、見えなかったものも増えたから結果論に過ぎないけど。)
ずっと共にしてきたこの外の世界に小さな内の世界ができて、元々そこに存在してたのかもしれない内の小さい世界はもう一つの私達を作って。
昨日無意識で見た外の景色。あなたの頭のデータには残らないんだろう。
けど内の世界でみた無意識な景色は膨大な内の世界のネットワークの情報に埋もれてどこかに存在し続けるんです。
そんなネットの世界が本物の人間の世界になってきてるのかなあ。
例えばインスタグラムとかにフォロワー数の多いインスタグラマーがネットに載せる景色は何十倍にも美しくて、艶やかで、綺麗に、色濃く残るように見えて。
鮮やかな記憶として無加工という頭のデータフォルダに残るんでしょう。けど目のフィルターを通して広がったバイアスは錯覚を起こしてるかもしれません。
影響と信用です。
まあそんな人間を通すより本当は目に映る世界の方が綺麗なんだと私は思います。
そんな外の世界にはない内の世界を、妄想と欲求の目のレンズを通して、外の世界に求めてる様に感じます。無いものねだりな特性です。

無い物ねだり
「無い物ねだり」というのは人間に元々組み込まれたプログラムなんだと思います。
便利が増えた昨今、欲なき欲は無限回廊に突入してありとあらゆる欲しい物が簡単に購入可能。身近なネットでも購入、毎月自動で欲しいものが届く。
外の世界に出掛けなくても、内の世界で済んじゃうようなそのぐらい便利になってます。
常に近くで買い物ができれば、無いものがあると不安になり、理性がある者なら全く問題ないのかもしれませんが、理性を持たない者は拍車をかけるようにヒートアップして「ない物」への焦燥感が募ります。そして満たされない欲求の底がどこにあるかわからず、買い物を手軽にする。
「どうすればいいの?」
【十人十色】
ってことですよね。わざわざみんなが必要だから果たして自分も必要なのかというクエスチョンマークです。
それも上記の理性をコントロールさせることに通じますが。
いやしかし便利ですよね。こんな世界がくるんですね。車ももう少しすれば自動運転だけになるんですよね。実現すれば、飲酒運転なんて事件もなくなって。事故もなくなるのかな。
もっと街中にカメラが増えれば犯罪検挙率100パーセント!になるんですかね。ポイ捨てしたら罪刑なんてあったり。
もしかしたら、もう少ししたらブログなんかも喋った内容を記事にしてくれて、もしかしたらあげる技術があるかもしれない。いや、もうあるかもしれない。
自分の想いとリンクして、つぶやく。なんてアプリケーションが出るかもしれない。
わからないから色んなアイディアが出てくるけど、世界が二つ三つって増えようが、人間らしさはなくさないで生きてみたい。
ゴミは弊害だよ。
これが言いたかったお散歩でした。
ところで、外にいると思うけど、最近、小さい生き物みなくなったなあ。
後でSiriかGoogle先生に聞いてみよう。
絶対に前と同じなんてないんだから、今からネットをもっと勉強して親友ぐらいにならなきゃ。
なんて泣いた2㎞でした。
まとめ
世界は広いから悩みすぎないでってこと。
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